2010/12/09 獲得オファーを出したと報道(報知)
2010/12/10 正式オファーを出したと報道(スポニチ)
2010/12/11 完全移籍決定的と報道(スポニチ)
2010/12/11 浦和が獲得に乗り出すと報道(報知)
2010/12/14 横浜or浦和に移籍と報道(報知)
2010/12/15 横浜に移籍決定的と報道(報知)
2010/12/16 移籍加入を発表(横浜F・マリノス)
▼2010/12/16[横浜F・マリノス]谷口博之選手 移籍加入のお知らせ
川崎フロンターレ所属、谷口博之選手の移籍加入が決まりましたので、
コメントと併せてお知らせいたします。
谷口 博之 (たにぐち ひろゆき)
■ポジション:MF
■出身地/生年月日:神奈川県/1985年6月27日
■身長/体重/血液型:182cm/73kg/AB型
■経歴:鴨居SC−横浜F・マリノスジュニアユース追浜−横浜F・マリノスユース−川崎フロンターレ
■Jリーグ出場歴(2010シーズン終了時点):
J1リーグ戦/179試合39得点
J2リーグ戦/15試合1得点
カップ戦/30試合3得点
天皇杯/17試合1得点
■谷口選手コメント
「横浜F・マリノスは、小学生からプロになるまで本当に憧れていたチーム。夢が叶いました。
日産スタジアムには、ユースの頃からよく試合を観にいっていたので、今からプレーするのが楽しみです。
恩返しできるように、頑張ります」
▼2010/12/15[報知]川崎・谷口が横浜M入り 熱い思いで決断「恩返ししたい」
川崎の北京五輪代表MF谷口博之(25)が、横浜M入りすることが判明。
谷口には浦和も獲得に動いていたが、ユース世代まで所属していた横浜M入団を決断した。
谷口が来季から横浜Mのユニホームを着ることを決めた。
関係者によると、推定年俸4600万円の複数年契約となる。
神奈川・横須賀市生まれの谷口にとって、横浜Mは特別なクラブでもある。
ユースまでサッカーを学び、トップ昇格は果たせなかったが、プロ入りの下地を作った場所。
親しい知人に「僕を育ててくれたクラブだし、恩返しもしたい。オファーをもらえて光栄だった」と話しているという。
谷口は08年北京五輪にレギュラーとして出場したボランチ。
今季は27試合に出場し、1得点に終わったが、06年に13得点、08年に10得点を記録。
09年には日本代表にも初選出された。豊富な運動量を誇り、守備力だけでなく、独特の得点感覚を持ち合わせている。
将来有望なボランチを巡っては、横浜Mと浦和が争奪戦を繰り広げた。
横浜Mは木村和司監督(52)が直接出馬して熱意を伝えたことも、決め手となったようだ。
▼2010/12/14[報知]谷口、川崎退団を決意…横浜Mと浦和から正式オファー
川崎の北京五輪代表MF谷口博之(25)が、退団の意思を固めていることが13日、分かった。
すでに横浜Mと浦和から正式オファーが届いており、両クラブと直接交渉も行っている。
この日、クラブハウスを訪れた谷口は、クラブ幹部と会談。
「フロンターレで来年やることはないと決めたので、そのことは伝えた」と明かした。
09年はレギュラーとして8得点を挙げたが、今季は先発出場が12試合にとどまった。
クラブ幹部は「彼が出場機会を求めて移籍を希望しているだけに、それは尊重する」と話しており、
来季編成も谷口退団を織り込んで進めている。契約を1年残すが、いずれのクラブに移った場合でも、完全移籍の形となるという。
移籍先については、「正直、迷っていますが、どちらかのクラブには行かないことになるので、
早く話さないといけないとは思っている。ここ3日くらいで決めたいと思っている」
と今週半ばまでには結論を出す模様。
抜群の得点能力も備える大型ボランチは、新天地での再出発の道を選んだ。
▼2010/12/11[報知]今度は川崎・谷口獲りに参戦…浦和
浦和が、川崎の北京五輪代表MF谷口博之(25)の獲得に乗り出したことが10日、分かった。
谷口には横浜Mも獲得オファーを出しており、激しい争奪戦に発展する。
Jリーグ関係者によると、浦和は高い守備力に加えて得点能力を評価して谷口に触手を伸ばした。
今季は守備的MFの阿部(レスター)がシーズン中に抜けた穴を埋め切れず10位と低迷。
ペトロビッチ新体制で巻き返しを図る来季の補強ポイントに合致する。
谷口は今季リーグ27試合出場1得点だったが、06、08年には2ケタ得点を記録。
通算179試合出場39得点の実績を誇り、昨年は日本代表に選ばれた。
川崎との契約が来季まで残るため違約金が発生するが、182センチの大型ボランチが浦和、横浜Mの標的となった。
▼2010/12/11[スポニチ]横浜、谷口獲り決定的!完全移籍へ本人も前向き
横浜が川崎FのMF谷口を獲得することが10日までに決定的となった。
谷口は来季も川崎Fとの契約を残しているが、関係者によると移籍金はほとんど発生しない見込みという。
横浜はすでに完全移籍でのオファーを出しており、年俸も推定4500万円でほぼ合意。
本人もジュニアユース、ユースでプレーした古巣への復帰に前向きで、近日中にも発表される。
▼2010/12/10[スポニチ]横浜 大黒獲得が決定的!谷口にも公式オファー
横浜が、元日本代表FW大黒(FC東京)を獲得することが9日、決定的となった。
複数のクラブ関係者が明らかにした。
大黒もこの日「残留はないと思います。マリノス?代理人に任せてますが、
可能性はあると思います」と前向きに語った。
また、クラブは川崎FのMF谷口にも完全移籍の正式オファーを出した。
▼2010/12/09[報知]北京五輪代表の川崎MF谷口に獲得オファー…横浜M
横浜Mが、川崎の北京五輪代表MF谷口博之(25)に、獲得オファーを出したことが8日、分かった。
谷口は08年の北京五輪にレギュラーとして出場したボランチ。
今季、川崎ではJ1リーグ27試合に出場し、1得点に終わったが、
06年に13得点、09年に10得点を記録。09年には日本代表候補にも選出された。
今季、横浜Mは、ACL出場権を獲得出来る3位以内を目指したが、8位と低迷。
43得点はリーグ10位で、豊富な運動量からの守備力だけでなく、独特の得点感覚を持ち合わせる谷口をリストアップ。
横浜Mの下部組織育ちということも、獲得に乗り出した背景にあるようだ。
関係者によると、横浜Mの木村和司監督(52)も直接出馬し、谷口に熱意を伝えたという。
川崎との契約は来季まで残っており、違約金(移籍金)が発生するが、将来を嘱望される若きボランチ獲得に全力を注ぐ。
◆谷口 博之(たにぐち・ひろゆき)1985年6月27日、神奈川・横須賀市生まれ。
25歳。横浜Mユースから2004年、川崎に入団。
06年、J1リーグ戦33試合13得点でベストイレブン、ナビスコ杯ニューヒーロー賞に輝く。
08年北京五輪代表。09年、日本代表候補に初選出された。J1通算179試合39得点。
身長182センチ、体重73キロ。血液型AB。
【Weblog】
[Wikipedia]谷口博之
[スポーツタイムズ通信社]2009/04/29A代表予備軍・谷口博之の驚異の身体能力by 藤江直人
■J1第6節
川崎フロンターレ(勝ち点8) 3‐1 大宮アルディージャ(勝ち点9)
[4月18日午後4時キックオフ@等々力陸上競技場/観衆1万6224人]
こりゃダメだ。大きいよ。ゴールラインを割っちゃう。
等々力陸上競技場にいた人間のほとんどがこう思ったのではないか。
1‐1で迎えた後半42分だった。川崎フロンターレのDF森勇介が右サイドを攻め上がるも手詰まりとなり、
後方に下げたボールを途中出場のCB井川祐輔がダイレクトでファーサイドにへ送る。
その試みはいい。問題は精度だ。緩やかな放物線を描くクロスに、
ゲームキャプテンを務める日本代表MF中村憲剛は胸の中でこう呟いたという。
「井川、どこ蹴ってんだよ」
味方さえもあきらめかけた瞬間だった。頭上を越そうかというボールに対してMF谷口博之が必死に背走する。
マークする大宮アルディージャの選手に体を寄せられ、体勢を大きく崩しながらもマーカーより高くジャンプ。
おそらくは後頭部に当たったであろうボールは、一歩も動けない相手GKを
あざ笑うかのようにゴールに吸い込まれていった。
驚異の身体能力が生んだ土壇場での勝ち越しゴール。ヒーローも無我夢中だった。
「とにかく頭に当てるだけだったんで。どこに当たったかは覚えていません。
ゴールを奪いに行くという気持ちが、ああいう形になったんだと思う」
また勝てないのか、とため息を漏らしかけていたサポーターが一転して狂喜乱舞する。
その1分後にはカウンターからエースのFWジュニーニョがダメ押し弾をゲット。
過去2シーズンで2分け2敗。特に昨年11月8日には結果的にJ1初制覇を逃す原因となった
痛恨の黒星を喫した怨敵から奪った逆転勝利に誰もが酔いしれた。
もちろん、中村憲もその一人だ。
「あのゴールはすごい。ねじ込んだ。あれがタニ(谷口)ですよ!」
フロンターレでレギュラーの座を不動して5シーズン目。
谷口の武器は1m82、73kgの恵まれたボディーをフルに使った攻守両面でのハードワーク。
その一方で2006年シーズンは13ゴール、昨シーズンも10ゴールを奪うなど神出鬼没の
ポジショニングで得点にも絡む大型ボランチは、時間とともにユース年代までは無縁だった「日の丸」との距離を縮めてきた。
昨夏の北京五輪には主力として招集され、しかも反町康治監督(当時)から
その得点能力を見込まれてセカンドトップに抜擢された。
しかし、1次リーグの全3試合で先発するも無得点。決定的な場面もほとんどないまま
チームも3連敗を喫し、自身の力不足を思い知らされる形で五輪の舞台から早々に姿を消した。
その北京五輪について、自分の中ではこう総括しているという。
「3連敗してよかった、というわけではないけど、中途半端な成績で終わるよりは(3連敗の方が)よかった」
アメリカ、ナイジェリアに連敗した時点で日本の1次リーグ敗退は決まった。
オランダとの最終戦は23歳以下の若き代表にとって「今後」につながる戦いに切り替わっていた。
もちろん負けようと思ってプレーしている選手はいないし、谷口も足をつらせるほど全力でピッチを駆け回った。
その結果として欧州王者オランダに一矢を報いれば2つの黒星で味わったショックはいくらか和らいだはずだし、
メディアの厳しい論調も少しはその矛先を収めたかもしれない。
だが、終わりよければとりあえず......という状況になることが谷口には我慢ならなかったのだろう。
世界との明確な差を痛感させられた。気休めなどいらない。
落ちるところまで落ちたら、あとははい上がるしかない。すべては自分次第だ、と。
「僕は嫌なことがあった方が成長できる。横浜F・マリノスのユース時代もマリノスで
プロになってJの試合に出ることが夢だったけど、昇格できなかった悔しさがあったからフロンターレで頑張ることができた。
(北京五輪は)また世界と戦いたいと思えた部分で、これからさらに上を目指していく上で刺激になった。
サッカー選手は現役でプレーできる時間が限られているから、落ち込んでいたら時間がもったいない。
気持ちを切り替えるしかないので」
3戦3敗の悔しさをJ1のピッチにぶつけた昨シーズン後半のプレーはA代表を率いる岡田武史監督の目にも留まり、
「いつも見ているぞ」というメッセージとともに、今年1月の代表合宿に初めて招集された。
国際Aマッチデビューはまだ果たしていないが、J1でデビューした当時は夢だったという
A代表の位置付けが今では「目標に変わっている」という。
「でも、A代表の一員としてW杯のピッチに立つことは現時点ではまだ夢。もっと頑張らないと」
開幕5試合を1勝2分け2敗と波に乗れなかったフロンターレだけに、
今シーズンのJ1で唯一の無敗チームだったアルディージャ撃破で関塚隆監督の言葉も弾んだ。
「本当に我々にとってこの勝ちというのは次につながるといいますか、
元気を出すために大事な要素だと思っていたので。勝点3を挙げることが一番大事なポイントだったので、
それを選手たちがよくやってくれたと思う」
前節の清水エスパルス戦ではカウンター一発で沈み、
守備の厚い守備網の前に昨シーズンにJ1最多の65ゴールをマークした自慢の攻撃陣も空砲に終わった。
試合を圧倒的に支配しながら些細なミスで墓穴を掘る。
まるで今までのVTRを見ているかのように、アルディージャ戦でも前半31分に
パスミスからカウンターを許して先制された。
アルディージャのコンパクトな守備網を攻めあぐむ中で刻々と過ぎる時間。
またか。嫌なムードが漂ってきた後半15分。戦局が大きく変わる。
中盤の右サイドが機能していないと見たアルディージャの張外龍監督が、
MF内田智也に代えて19歳の渡部大輔を投入する。
岡田武史監督がメンバー選考を行った20日からのU‐20代表候補合宿にも招集されているホープに
「元気と自信を持たせて送り出そうと思った」という指揮官の青写真は、しかし、瞬く間に崩壊する。
「(渡部の)コンディションやどんな準備をしていたのかは分からないが、
あれぐらいチームに溶け込めないプレーをしたのは初めてだった」
無残に決壊した右サイド、フロンターレから見れば左サイドを突かれ、
オーバーラップしたCB伊藤宏樹から中村憲、そしてFW鄭大世に渡ったボールが
ゴールネットを揺らしたのは渡部投入からわずか2分後。張監督が天を仰いだ。
「敗因は私のメンバー交代。順番が違ってしまった。
先にFWラフリッチを入れてタメを作ろうと思ったんだが、内田のところでバランスが崩れていたので......」
敵将の采配ミスを巧みに突いた同点劇。渡部はわずか8分間でFWラフリッチとの交代を告げられた。
試合は再びフロンターレが圧倒的に支配しながら最後の詰めを欠く展開に陥っていたが、
終了間際でA代表予備軍の筆頭・谷口の「個」の力でゴールと勝利への扉をこじ開けた。
どちらかと言うと人前で話すことが苦手で、クールな性格と受け止められがちな谷口だが、
胸に秘めるサッカーへの思いは誰よりも熱い。
「現役は頑張ってもあと10年ぐらいかな。引退後にやりたいことは特に何もないし、
サッカーを終えたら自分の人生の7割ぐらいが終わっちゃうような感じなので、
悔いのないように、妥協することなく行けるところまで突き進みたい」
当面の目標はA代表定着と、横浜F・マリノスへの昇格がかなわなかった自分に
チャンスを与えてくれたフロンターレに初タイトルで恩返しをすること。
「サッカーの中では1失点は仕方ない。内容は悪くない。後半のサッカーができれば」。
巻き返しへの手応えを静かに語った男の左手薬指には、今月6日に入籍したばかりの夫人、
人気タレントの松木里菜さんと交わした指輪が輝いていた。
[サッカー名言集]2008/07/24(876)谷口博之
−あきらめないから北京の舞台をつかんだ。
「俺、サッカー人生、落ちたり上がったり。横浜Mのユースからトップに上げてもらえず、どん底に落ちた。
高校1年のときはBチームでも試合に出られなくて、夏のクラブユースの大会でも出られないから、
2週間くらいサッカーしないでビデオを撮ったり洗濯したりだった」(抜粋)
[最終更新日:2010/12/15]