2008年09月19日

ヴィッセル神戸の安達貞至社長にたぶらかされてはいけない。

残念ながら残留争いから未だ脱し切れていない、我が横浜F・マリノス。
明日は、残留争いにおいて大事な試合、磐田戦が組まれているが、
そんなF・マリノスに不憫な移籍報道がなされている。

[ニッカン]神戸来季大型補強に横浜中沢リストアップ(PC

[デイリー]神戸が“得点王”横浜M・山瀬功獲り検討(PC

神戸サポ向けに9/6に開催されたサポーターズミーティングなどで出た話らしい。
勝点31、12位の神戸(横浜は現在、勝点27,15位)
残留も決まっていないチームが、鬼が笑うような来期のことを(プ

...というのが正直なところだが、こんな明るい未来を出されれば、
神戸サポは俄然ヤル気を出してくることだろう。
また、こちらとしては、「おいおい、なんだよその話」となる訳である。

---

神戸のフロント言えば、大久保の北京オリンピック招集を固辞した話が記憶に新しい。
[サポティスタ]神戸、改めて大久保五輪招集を断る(PC
五輪代表オーバーエージ枠での大久保嘉人招集に関して、
反町監督、小野技術委員長が交渉にあがるが、
神戸・安達社長はあくまで招集拒否の姿勢を貫く。

大久保の招集に神戸が難色を示している件で、日本協会側は、
27日に大久保招集を打診する正式な文書を神戸に届ける。
28日には、小野剛技術委員長が安達社長と会談。
29日には反町監督も含めて改めて会談を持ったが、神戸側の姿勢は変わらなかったという。

神戸のドクターによれば、大久保の右膝は現在も患部に水が溜まった状態で
「無理はできない。爆弾を抱えている」という。

なお大久保の所属する神戸は、
週末のリーグ戦で大分に敗れ降格圏の16位に後退した。

 安達社長
 「出せないというスタンスに変わりはない」
 「来るのが遅すぎる。今ごろなんだ」
 「前からひざが悪いと言っているのに、問い合わせがなかった」

 反町監督
 「しっかりした形でOAを発表したいが、それがメンバー発表になるかは分からない」

 大久保問題の経緯
  ▽6月上旬 大久保がOA枠の最有力候補に。日本協会から神戸にメディカルチェック受診の要請。
 ▽12日 安達社長が反町監督と電話で会談し、拒否の意向を伝える。
 ▽14日 タイ戦を視察した反町監督が大久保と面談。本人の五輪出場意思を確認。
 ▽21日 遠征中の韓国でクラブ幹部と大久保が話し合い。クラブの方針に従うことを確認。
 ▽24日 安達社長がオマーン戦での大久保の退場を謝罪するため日本協会を訪問。田嶋専務理事と小野技術委員長と会談し、招集を再度固辞。
 ▽25日 神戸の和田チーム統括本部長に小野技術委員長から連絡。再度、拒否。

どうやら大久保のケガの状態よりもJFAの対応におかんむりだったようである。
この安達社長についてちょっと調べてみた。

[はてなキーワード]安達貞至(PC
ヴィッセル神戸GM。

1939年4月4日生まれ、兵庫県出身。
関西学院中、関西学院高、関西学院大学卒業後、ヤンマーディーゼル入社。
大阪防災設備販売部長、東京陸用特販部長を歴任。

1986年、ヤンマー東日本株式会社代表取締役社長に就任。
1994年、ヤンマー退社。ヴィッセル神戸強化部長に就任。
1996年8月、ヴィッセル神戸常務取締役ゼネラルマネージャー昇格。
1996年11月退社。
1997年2月、横浜フリューゲルスゼネラルマネージャー就任。
1998年10月、退社。ニシテック入社、顧問として就任。
1999年3月、Jリーグマッチコミッショナー就任。
2003年12月、定年につき退任。
2004年3月、日本サッカーリーグ(JFL)マッチコミッショナー就任。
2005年5月、ヴィッセル神戸ゼネラルマネージャーに復帰。同年6月には常務取締役就任。
2006年、代表取締役社長就任。


[神戸新聞・兵庫人]挑む 第3部アスリートの系譜(PC
−復権目指すピッチのイレブンたち「発祥の地」誇りと、決意と
母校サッカー部を率いる元日本代表監督の加茂(かも)周(しゅう)(67)と、
Jリーグ1部(J1)ヴィッセル神戸社長兼ゼネラルマネジャー(GM)の安達貞至(さだゆき)(69)。

かつては早稲田大などと日本サッカー界の頂点を競った関学大で、二人はサッカーの基礎を学んだ。
「監督や先輩に殴られこそしなかったが、厳しい練習で死にそうになった」。
非凡な才覚は、卒業後に開花する。

 県立芦屋高卒業後、二浪して入学した加茂が、サッカー部に入ったのは二年から。
入れ替わるように卒業し、関西の新興勢力ヤンマーディーゼル(現セレッソ大阪)に
入社した安達は、体格に優れシュート力のある加茂を誘った。

ヤンマーは一九六五年に発足した日本リーグに関西から唯一参戦。
二年後には日本代表のエース、早稲田大の釜本邦茂(くにしげ)(63)の入社を機に、
安達はマネジャー、加茂はコーチに転身し、
リーグ優勝や天皇杯などのタイトルをものにした。

 寮にサウナを整備し、練習場に芝生を張った安達は後に二クラブでGMに就任、チーム編成で手腕を発揮した。
一方、ヤンマー退社後、日産自動車(現横浜F・マリノス)や
横浜フリューゲルスで指揮を執った加茂は、日本初のプロ指導者としてタイトルを数々手にする。
「関学サッカーは人生そのもの」と振り返る安達。
現場主義を貫く加茂は「再び関学を大学日本一に」と誓う。


[Wikipedia]ヴィッセル神戸(PC
−ヴィッセル神戸設立以後(抜粋)

神戸オレンジサッカークラブの筆頭株主だったダイエー
(資本金10億円のうち、50%を出資)も震災の影響から3月に撤退、
生まれ立てのクラブはこの時点で清算も検討された。

当時強化部長だった安達貞至氏がこれをなんとか食い止め、
スポンサー獲得に奔走し、市民チームになる。

それに伴い、運営会社名も5月31日にチーム名と同じ「ヴィッセル神戸」に改称。
ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジ色のラインが襟と袖に入っていたが
ダイエー撤退に伴い、オレンジ色からエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。

−2006年(抜粋)

育成型への布石としては伊丹市にジュニアユースを設立し育成部門の拡大を図るとともに、
ジュニア(小学生)世代へのアプローチとしてサッカースクールを県下で拡大するなど、
安達貞至GMのアイデアが着々と実行に移されている。

隠れた逸材を見出すためにスカウトを2人(これまでは1人)にし、
育成組織の監督、コーチにも他チームの優れた選手をスカウトするように命じるなど、
これまで弱かったスカウティング部門の充実を図るようになった。


この社長、サッカーに情熱を傾け、そして見事な情報操作(?)・
群集心理を操る(?)かなりのやり手であることは、
このエントリーで推し量ることができるだろう。

なんだか「安達社長バンザーイ」な内容になってきたが、
賢明なマリサポ諸君は、そんな安達貞至にたぶらかされてはいけない。

ぶっちゃっけ、リストアップなんざ猿でもできるっつーの
鬼に笑われながら、絵に描いた餅で正月を迎えてろってコトで。

---

最後に、我がブロ・アサを読む奇特なマリサポに告ぐ。

我々の今週末の敵は、新聞報道でも神戸でも
ましてや安達貞至では無い、ジュビロ磐田である。

総力を結集し勝点3を収得せよ。
posted by ろこ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 横浜F・マリノス2008 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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